浮世絵×網代編みでコラージュアートに新潮流を生み出したい。Vol.2 寺尾瑠生浮世絵×網代編みでコラージュアートに新潮流を生み出したい。Vol.2 寺尾瑠生

浮世絵×網代編みでコラージュアートに新潮流を生み出したい。
Vol.2 寺尾瑠生

時代とともに忘れられていくもの、捨てられていくもの。
そのかけらを日々集め、紡ぎ直し、新たな価値を生み出す若手アーティストたちがいる。
そんな、未来のクリエイティブ界を彩る “原芽”にインタビューする連載企画。

第2回のゲストは、コラージュアーティストの寺尾瑠生さん。浮世絵や網代編みなど日本の文化を取り入れながら、繊細かつ独創的な世界観を作り出す瑠生さんだが、その創作の原点は、あるものに対する「恐れ」だった。

不安を払拭するため、気づいたら作品づくりを始めていた

作品づくりを始めたきっかけはなんでしょうか?

15歳の時です。小さい頃からずっと抱えていた精神的な不安を落ち着かせるために、コラージュ作品を作り始めました。

精神的な不安というのは?

小さい頃に「人は死んだらどうなるんだろう」って気になり始めてからずっと、死に対する恐怖が消えなくて。こんなに重要な問いを放置したまま、なんでみんな普通に生きれるのか、わかりませんでした。自分が「周りと違う」ことはなんとなく感じていたんですけど、僕自身どうしたらこの不安から抜け出せるか、検討もつかなかった。そのまま中学校3年生になり、周りが受験期に入った時についに、将来について何も見えなくなっちゃったんです。それまで仲良くしていた友達とも喋れなくなり、学校にも行けなくなりました。当時は、生きているのか死んでいるのかすら分からないような心地でしたね。

自身について、「実はめちゃめちゃ心配性で、ネガティブ」と語る瑠生さん。「出かけている親がなかなか帰って来ないと事故に遭って死んじゃったんじゃないかとか、すぐに悪い方向にストーリーを作り上げていました」

それが、作品を作ることで少し払拭された。

当時は不安が常に頭の中をわーっと駆け巡っているような状態だったんですけど、作っている間だけはなぜかそれがぴたりと止み、作品づくりだけに集中できました。作業が終われば元の状態に戻っちゃうから、またすぐに次の作品に取り掛かる。その繰り返しです。作品のテーマとかも特になく、誰に見せるでもなく、ただひたすら作品を作っていましたね。

紙で作品を“編む”。芸術家としての道を開いた、新たなアイデア

モチーフを出力した紙を、編むようになったのはいつからでしょうか?

今から3年前、ちょうど18歳くらいの時です。いわゆる複数の素材を寄り集めたコラージュ作品に対して、出尽くした感というか、限界を感じていたのもありますし、その頃ちょうど、周りの友達が大学進学や就職をしていくなかで、自分はどうやって社会に出ていくか、考えていた時でした。学校にもちゃんと行けてないし、ここから僕が今から目指せる職業ってなんだろうって考えた時に、芸術家かなって。簡単になれるわけじゃないけどやってみようと。
人に見せる美術品を作るためには、もっと作品に個性が必要だと思い、そこから毎日、作品づくりのヒントを得るために、家の近所を散歩するようになりましたね。近くに森があったので、よく歩いていました。

森!?

僕は鳥取出身なんですけど、鳥取城跡が家の近くにあるんです。最低1つ、何かしらヒントが見つかるまでは帰っちゃいけないルールにしていたから、日によっては夕方まで歩き続けることもありました(笑)。

「あそこは霊の目撃情報も結構あるし、めちゃめちゃ怖いんですけど、あの時は精神的に結構きちゃってて、最悪死んでもいいやって」

結構命がけですね。そんなヒント探しの日々の中から、今の作品に通じる何かを掴み取ったと?

その森の周辺に、幼稚園の頃からよく通っている、大きな図書館があるんです。ある時、図書館に行ってたまたまに手に取ったのが、日本の竹籠の編み方を解説する本でした。これから世界に向けて作品を発信していくためには、日本のもの(文化)をどこかしらに組み込んだ方がいいと思っていたので、じゃあこれを使ってみようかなと。それまで紙を使って作品を作ってたから、竹じゃなくて紙で、編み図にしたがって編んでみたんです。そこから、今のような(紙を編んだ)手法で作品を作るようになりました。

ある意味でご自身のために作品づくりをしていた時とはまた別の視点、芸術家としての戦略的な視点が加わったことで生まれた作風だったんですね。

そうですね。もともとコラージュアートというのは、西洋の文化圏で育まれてきたものなんです。だから日本人が、そのなかでどうやって"市民権"を得るかっていうのは、コラージュアートの歴史的な文脈においても、結構重要だと感じていて。そういった意味で、コラージュアートに(自分の文化的背景である)日本らしさをどのように取り入れるかは、僕にとって大きなテーマですね。

モチーフとなる絵画をデータ化して紙に出力後、5mm幅の短冊上にカットし、「網代編み」という日本の伝統的な手法で編み合わせながら作り上げていく

西洋的な文脈で日本の絵画を蘇らせたい

最近は素材に和紙を、モチーフに浮世絵を用いた作品など、より日本の文化を引き立たせた作品も見られるようになりましたね。

浮世絵は今でこそ、(誇り高い)「文化」として日本でも認められているけれど、美術品として位置付けたのは、西洋諸国の人。当時、日本では広告やブロマイドのような「大衆メディア」として庶民の間で親しまれていたところ、ジャポニズムによってその価値が西洋諸国で高められ、日本でも美術品として認められるようになったという経緯があります。

僕がつくる浮世絵の作品って顔がぼやかされているものが多いんですけど、あれには「虚像」というイメージがあって。歌麿はじめ日本の有名な浮世絵師は、かなり昔の人ですし、正直、肖像画もあるかどうかという感じ。(西洋の人たちに評価されているという理由だけで)顔も知らない、いたかどうかもわからない人たちにすがるのは悔しいと思ったんです。西洋人の価値観に頼らず、自分たち日本人がもっと浮世絵の価値を素直に認めたいし、その良さを広めたいなと。価値がついたからすごいんじゃなくて、浮世絵がすごいから価値がついたんだと。僕が作品を通して、改めて海外に浮世絵を輸出し、そこでまた新しいムーブメントを巻き起こせたらいいなと思っています。

見る角度や光の具合がまた、浮世絵に新たな表情を加えるため、見れば見るほど作品世界に引き込まれていく

2025年1月9日〜15日開催の個展「増殖」でも、浮世絵をモチーフにした多数の新作を展示

西洋諸国に向けた発信に見えて、どこか日本人である私たちがハッとするメッセージにも感じられます。

まさにどちらに向けたメッセージでもあるんです。あと浮世絵は、「過去」の作品の象徴でもありますよね。過去の作品である浮世絵と、プリンターという先端技術を組み合わせると、もう一回新たな作品が生まれる。それが西洋の文化であるコラージュの文脈に位置するという、この構造が面白くて浮世絵をモチーフに選んでいる、というのもあります。

西洋のコラージュアートと日本の浮世絵、過去の技術と最新技術……一見相反するものを絶妙なバランスで掛け合わせて、作品づくりを行なっているようですね。

ほぼ無意識ですが、確かに両極端にあるものを掛け合わせて作品を作っていますね。「網代編み」も、手作業で編んでいくものではありつつも、あまり人間味が出ないような機械的な模様なのが面白いと思って採用していて。モチーフについても、誰かが描いた絵画作品を、編み直すことで素材の輪郭がぼやかされ、抽象化されていくのが面白い。常に真反対にあるものの間を縫って、新しいものを作っていきたいんです。

睡眠時間は1日10時間。しっかり寝た後はひたすら創作に励む日々だ。「長生きしたいんで、たくさん寝るようにしています」

作品づくりは生活の一部。抽象と具体の間を縫い進む

今あらためて、作品を作ることは瑠生さんにとってどのような意味を持つのでしょう?

もはや生活の一部に吸収されているような感覚ですね。作っている間はやっぱり心が落ち着くから、直接作ることができない時も、頭の中で次の作品を考えています。でも最近は以前よりは不安に駆られることが少なくなってきました。こうやって作品を作ったり、あとはギャラリーにも足を運ぶようになったりする中で、いろいろな人とお話しして、その考え方を吸収して、考え方が少し変わったのかな。少し思考の幅が広がったのかもしれません。

睡今年1月には初めての個展を実現するなど、注目が高まりつつある瑠生さんだが、「手応えは特にないですね……。作るたびに『次はもっとこうしよう!」という反省点が出てくるので、早くそれを次の作品に生かしたい!という気持ちが大きいです(笑)」

これからはどんなことに挑戦していきたいですか。

浮世絵にしろ西洋画にしろ、今は作品自体、モチーフである絵画作品からかなりパワーをいただいていると感じていて。今後はモチーフとなる作品をそのまま印刷するのではなく、モチーフ自体をコラージュ作品にしてみるとか、少しずつ作品の造りを複雑化していくのが目標です。編み方についても、今は平面ですがいずれ立体作品とかも作ってみたいですね。抽象と具体の間をうまく縫い進みながら、作品の幅を広げていけたらと思っています。

PROFILE

寺尾 瑠生Rui Terao

2003年鳥取県生まれ。既存のモチーフを出力した紙をカッターと定規で裁断し手で編み込む手法で制作を行う。2023年のはじめに作家活動を開始。2024年7月に、アーティストネームであったVenty改め、本名の「寺尾瑠生」として活動を新たにする。2025年1月9日〜15日、「Artglorieux GALLERY OF TOKYO」にて個展を開催。

Instagram@venty_louis

  • 撮影:鈴木愛子
  • プラン・コーディネーション:カトー
  • 取材・執筆:齊藤葉(都恋堂)