久々にレコードをかけた。
Little Simzの「GREY Area」。
数年ぶりにタバコが吸いたい

昨夜のできごとを思い返す。


男。うちの店で女にフラれて、指輪を無くした男。
指輪を探しながら 男が私に言った言葉

『そのバンド…俺つぶしますよ』

は? 急にどうしたこいつ

話を聞くと、この男はYouTubeやTikTokで
今めちゃくちゃ人気の音楽批評家だった。
活動名はヘイトビーバス。名前くらいは私でも知ってた。
男は女に隠れてSNS上で数年ほど活動してるらしい。

『俺、色々フォロワーの数結構多くて。
俺がダサいって吊したバンド
大体まじでそっから人気なくなるんですよ』

女が好きになったそのバンドを
自分の動画で叩いてつぶすつもりらしい。
こいつまじでクソだな…
そもそもそのバンドの名前も知らないレベルなのに叩いてどうすんだよ
逆にそれきっかけで知名度上がって売れたらどうすんだよ
というかそのバンドめちゃくちゃカッコよかったらどうすんだよ
次々頭に浮かぶ思いを男にぶつけた。

『まだ売れてないバンドだから叩く意味あるんですよ。
そこそこ売れてるヤツ叩いてもその辺のアンチと変わらない。
めちゃくちゃダサいバンド見つけた、
って 無名のヤツ吊し上げるから数字伸びるんです』

こいつどこまでクズなんだ…

 

 

『彼女が言ってたそのバンド、どうせダサいだろうし。
今まで彼女と音楽の好みだけは一度も合ったことないんで』

この男がだんだんムカついてきた
私はこの男の活動をつぶしたい。

『店員さん、Weem Kidのケイトの元カノですよね?』

は…?
こいつなんでそれ知ってんだよ
私と別れた後にバカ売れしやがったバンド、
Weem Kidのボーカル ケイトは私の元カレだ。

『俺、音楽ゴシップ的なことも結構詳しいですよ。
店員さんが普段は絵描きやってることも知ってます。
ケイトと別れた理由、
世間にバレたらまぁまぁやばい件も知ってるし』

どんどんこいつが怖くなってきた
今すぐこの店から出てってほしい、
もう二度と姿を見せないでくれ。

『俺と組みません?
彼女が言ってたバンド、一緒につぶしましょうよ。
俺に協力してくれるなら、
そこそこデカい絵の仕事つないであげますよ。
協力してくれないなら…ケイトとのあの件、
全部色んなトコで喋っちゃいますけど』

それって脅しか…
お前そんなことしてたらいずれ訴えられるぞ
私は震える唇で言い返した。

『俺が訴えられて消えるか、
そのままケイトとWeem Kidも音楽業界から消えるか、
店員さん、あなたの今後も大変ですよ…』


私は、男と手を組む約束をしてしまった。
昨夜のあの瞬間、私は男の恐怖に負けてしまった。

男がまず私に要求してきたこと
「彼女が好きになったバンドの名前を、
彼女本人から聞き出してほしい」

男は店内でフラれた直後、
女から全ての連絡先をブロックされたらしい。
だから、忘れたバンド名を私が女から
聞き出すように指示された。

もちろん、私は女の連絡先なんて知らない。
昨日お客としてはじめて女を見ただけだ。
恐らくまたうちの店に来ることなどない。

突如最悪な課題を突きつけられて、私は明日30歳になる。
まじで、一生明日になるな

で、今日も職場のカフェに向かう。

 
 

2:17 pm

Wet Legが流れる店内。
今日はまったく集中力が安定しない。
全部あの男のせいだ。
しかも寝不足だ。男のYouTubeを一通り見てしまったから。
ヘイトビーバス、
エグい数のチャンネル登録者数にまた恐怖を感じた。
あいつを敵にしたら何かを失う。そんな気がした。
動画の内容も予想以上に実名でアーティストを
こき下ろしててあいつの人格を疑った。
ただ、批評の内容自体は的を射ていて、
音楽に対してむしろピュアなやつだとも思った。

わからない。あの男の本当の目的が。

『…大丈夫ですか?』

目の前のカウンター席から声。常連客のルカだ。

『カーラさん、今日ずっとやばそうな顔してるから』

ちなみに、カーラは私の名前。今更だけど。

ルカはフリーのスタイリスト。年齢は私の3歳下。
1年くらいこの店の常連で、時々一緒にお酒飲んだりライブに行ったりする仲だ。

『今日仕事何時までですか?夜ライブ行きません?
The NNっていう、先週MVの撮影で仕事したバンドで。
多分カーラさん好き系ですよ。ゲスト頼めるんで』

The NNか。ちょうど最近聴いてたバンドだ。
今はバンドの音楽に色々触れたくないテンションだけど、
NNのライブなら。

 

 

6:58 pm

開演ギリギリで会場に到着。
入口で待っててくれたルカと合流。
ドリチケをハイネケンの瓶と交換して、すぐさま扉を開けた。
キャパ400人程度のフロア内はパンパンだ。

『あっ、カーラさんごめん!
今日オープニングアクトあるみたいでNNの出番それの後だ。
駅から走って来てくれたのに…』

ルカが申し訳なさそうに言う。
バーカン辺りで待機しようか一瞬迷ったけど、
まぁせっかくだし それのライブも見るか。

オープニングアクト、
ステージ上に出てきたのは
看護服姿に口元をバンダナで覆った2人の女子。
気だるそうに1人はベースをセットし、
もう1人はドラムセットに向かう。
どうやらベースとドラムの2ピースバンドだ。

フロアのお客に向けて特に挨拶もなく、2人の演奏が始まった。
とんでもなくノイズがかったディストーションベースに
N.W.A.のようなヒップホップのビートをドラムが叩き出す。
てっきりベーシストが歌うのかと思って見てたら
ドラマーが吐き捨てるかのようにメロディを歌い始めた。

なんだ、このバンド…やばい…めちゃくちゃ良い

 

 

そのまま2曲目が始まる。
ずっとベースは俯きながら最高のノイズを鳴らし続ける。
ただ、一つ気になることが
ベーシストの看護服から覗く右腕のアザ。
どこかで見た形のアザだ。

フロアの熱気もとんでもない状態になった3曲目の演奏が終わり、
ドラマーがマイクに向かって喋りだした。

『えー、と、みなさん、こんばんは。
というか、恐らく、みなさん全員、はじめまして。
ディルファという2人組です。
名前だけでも、まぁ、覚えて帰ってください』

ディルファ…
え…ディルファ、って…

More on this in the next issue

AirPods。 最大音量のホワイト・ストライプス

私。女。29歳。職業、画家とバリスタ
どちらが本職というか、どちらも本職。
周りからは画家一本では食ってけないから
合間にバリスタをしてると思われてそうだけど、そうじゃない。
絵もコーヒーも同じくらい好きだから両方を本職と呼んでる。

恋人はいない。多分3年くらい
色々思い出したくないから、過去の話は今はしない。
言っとくけど、モテないわけじゃない。多分
昨日もお客の男から声をかけられた
『お姉さん、めっちゃお洒落ですね。
インスタとかやってます?見たいなぁ』
よく分からん声かけだ。
店員みんな同じ制服のTシャツ姿なのに、
お姉さんお洒落ですねって。
どうせDMから誘って来ようとしたんだろ。
インスタはしてないと言っておいた。
まぁやってるけど、
自分の作品しか載せてないから教える必要もないと思った。

こんな感じで、私は明後日30歳になる。
年齢で何かを区切って考えるのは大嫌いだけど、
明後日、何もかもぶっ壊れてくれたら

で、今日もこのカフェでコーヒーを淹れる。

 

 

5:38pm

カウンター、若い男女のお客。
店内で薄く流してる音楽に男が反応した
『ステレオフォニックス』
『は?』
『いゃ、掛かってる曲。このバンドめっちゃ好きでさ 』
『これ洋楽?わたし全然そっちわかんないから』
『そういや普段全然洋楽聴かないよね、なんで?』
『だって英語なに歌ってるかわかんないから』
『いゃ、邦楽でも英語の歌詞のとかあるじゃん』
『んー、ほぼなくない?とにかく洋楽わかんない。
日本のバンドしか』
『やっぱり完全邦楽主義か…
逆に俺もう全然邦楽聴いてないなぁ』

数分前まで楽しそうに話してたのに
この音楽の話をきっかけに男女の空気は重く濁りだした。
そもそも洋楽と邦楽で揉めるってなに?
どちらも関係なく聴く私からすれば、
その会話はあまりにも浅く聞こえた

 

 

重い空気を変えようとしたのか、女が質問した

『じゃあ、オススメ何?洋楽、なんか教えてよ』
『いゃ、いつも俺言ってるやつ、1975』
『ん、それバンド名だっけ?』
『そうだよ。The 1975』
『有名?』
『普通にめちゃくちゃ売れてるよ。
去年のサマソニ、ヘッドライナーだったし』
『え、じゃあ普通に有名なんだ』
『そうだよ。てか何度か部屋で掛けてるから
絶対聴いたら知ってるって。
逆に、オススメある?最近の日本のバンド』
『んー…言ってもわかんないと思う』
『いゃ、邦楽聴かないけど名前くらいは意外に知ってるよ。
結構』
『ディルファ、って知ってる?』
『ディルファ?』
『うん…』
『ごめん、知らない。最近のバンド?』
『うん…最近のというか…』
『え、検索したら聴けるかな』
『あ、多分まだないと思う。ほんとに新人というか…』
『なにで知ったの?』

 

この会話の数分後、男はフラれた。
目の前で会話を盗み聞きしてた私も仕事の手が止まった。
ディルファというまだ得体の知れないバンド。
女はそのバンドのボーカルのことが
以前から好きだったみたいで
そのボーカルと付き合えそうだから今日ここで別れたい、
という音楽の話の流れから突然男は完全にフラれた。
男は驚きとショックで言葉が出てるのか出てないのか
聞き取れないくらいの小声で何か言ってたけど、
女は気まずくなって
『ほんとにごめん。 でも…あんたも悪いからね』
と言ってトイレに行き、
席には戻らずそのまま店を出て行った。

 

わからない。
急に何が起きたのか私には意味がわからない。
というか、まだ目の前に座ってるこの男も
おそらく状況を飲み込めてない。
他人の失恋話は大抵内心笑ってしまうが、
この男はさすがに哀れだ。なので、
とりあえず空になってた男のグラスに水を注いであげた。

 

 

9:06pm

入口のネオンを消す。
1人でクローズ作業の日は店内爆音で好きな曲を掛ける。最高。
今日のBGMはWallows。
「 I Donʼt Want to Talk」はモップがけの速度が上がる。

夕方の男女、結局どうなったんだろ。
あのままほんとに別れたのか。
男は相当落ちて帰って行ったけど、大丈夫かちょっと気になる。
あと、話してたバンド名なんだっけ?
休憩中調べようと思ったけど名前忘れた。
曲も気になるけどボーカルの見た目が気になる。
女は見た目に惹かれたのか。結局男も女も顔か。
まぁ私も、バンドマンと付き合ってたけど。
まさか別れた直後にあんな売れるなんて。惜しいことしたな。
まぁでも売れた途端に捨てられたかも知れんから、
あのとき別れて正解だったと思いたい。

ん、え、うそ…

夕方のあの男が入口のガラス扉の向こうに立ってる。
なに?何しに来た…?
BGMの音量を下げ、恐るおそる扉の鍵を開けた。

どうやら男は今日付けてた指輪を無くしたらしく、
この店で落としたりしてないか気になり直接探しに来た。
男女がいたカウンター席に忘れ物も無かったし、
そもそも付けてた指輪を店内で無くすことなんてあるか?
と思いつつも、男は焦ってる感じだったし、
とりあえず座ってた場所のあたりを一緒に探した。

『すいません…今日色々と。あんなことあったから、
もう一回お店に来るの恥ずかしかったんですけど…
大事な指輪で、もう他に思い当たる場所もなくて』

今日別れを告げて帰って行った女との思い出の品か?
フラれたショックで無意識にはずしでもしたか?
内心そんなぼやきが止まらない。
あと、あのやり取りを盗み聞きしてたのはしっかりバレてた。
まぁそうか。

『あの…
彼女が話してたバンドの名前、覚えてたりします…?』

男から突然の質問。思わず私の変な声が漏れた。
なんなら、この男に忘れたバンド名を聞こうか
ちょっと迷ったのに…
私もバンド名を覚えてないことを伝えると、
男は更に話し出した。

『ですよね。聞いたことない名前だし。
なんか短い名前で…思い出せなくて。
さすがに彼女に連絡してそれ聞けないし。
でももし思い出せたら、ちょっと…
たくらんでることがあって…』

 

結局、指輪は見つからなかった。
ただ、この夜 私は男ととんでもない約束をしてしまった。