AirPods。 最大音量のホワイト・ストライプス

私。女。29歳。職業、画家とバリスタ
どちらが本職というか、どちらも本職。
周りからは画家一本では食ってけないから
合間にバリスタをしてると思われてそうだけど、そうじゃない。
絵もコーヒーも同じくらい好きだから両方を本職と呼んでる。

恋人はいない。多分3年くらい
色々思い出したくないから、過去の話は今はしない。
言っとくけど、モテないわけじゃない。多分
昨日もお客の男から声をかけられた
『お姉さん、めっちゃお洒落ですね。
インスタとかやってます?見たいなぁ』
よく分からん声かけだ。
店員みんな同じ制服のTシャツ姿なのに、
お姉さんお洒落ですねって。
どうせDMから誘って来ようとしたんだろ。
インスタはしてないと言っておいた。
まぁやってるけど、
自分の作品しか載せてないから教える必要もないと思った。

こんな感じで、私は明後日30歳になる。
年齢で何かを区切って考えるのは大嫌いだけど、
明後日、何もかもぶっ壊れてくれたら

で、今日もこのカフェでコーヒーを淹れる。

 

 

5:38pm

カウンター、若い男女のお客。
店内で薄く流してる音楽に男が反応した
『ステレオフォニックス』
『は?』
『いゃ、掛かってる曲。このバンドめっちゃ好きでさ 』
『これ洋楽?わたし全然そっちわかんないから』
『そういや普段全然洋楽聴かないよね、なんで?』
『だって英語なに歌ってるかわかんないから』
『いゃ、邦楽でも英語の歌詞のとかあるじゃん』
『んー、ほぼなくない?とにかく洋楽わかんない。
日本のバンドしか』
『やっぱり完全邦楽主義か…
逆に俺もう全然邦楽聴いてないなぁ』

数分前まで楽しそうに話してたのに
この音楽の話をきっかけに男女の空気は重く濁りだした。
そもそも洋楽と邦楽で揉めるってなに?
どちらも関係なく聴く私からすれば、
その会話はあまりにも浅く聞こえた

 

 

重い空気を変えようとしたのか、女が質問した

『じゃあ、オススメ何?洋楽、なんか教えてよ』
『いゃ、いつも俺言ってるやつ、1975』
『ん、それバンド名だっけ?』
『そうだよ。The 1975』
『有名?』
『普通にめちゃくちゃ売れてるよ。
去年のサマソニ、ヘッドライナーだったし』
『え、じゃあ普通に有名なんだ』
『そうだよ。てか何度か部屋で掛けてるから
絶対聴いたら知ってるって。
逆に、オススメある?最近の日本のバンド』
『んー…言ってもわかんないと思う』
『いゃ、邦楽聴かないけど名前くらいは意外に知ってるよ。
結構』
『ディルファ、って知ってる?』
『ディルファ?』
『うん…』
『ごめん、知らない。最近のバンド?』
『うん…最近のというか…』
『え、検索したら聴けるかな』
『あ、多分まだないと思う。ほんとに新人というか…』
『なにで知ったの?』

 

この会話の数分後、男はフラれた。
目の前で会話を盗み聞きしてた私も仕事の手が止まった。
ディルファというまだ得体の知れないバンド。
女はそのバンドのボーカルのことが
以前から好きだったみたいで
そのボーカルと付き合えそうだから今日ここで別れたい、
という音楽の話の流れから突然男は完全にフラれた。
男は驚きとショックで言葉が出てるのか出てないのか
聞き取れないくらいの小声で何か言ってたけど、
女は気まずくなって
『ほんとにごめん。 でも…あんたも悪いからね』
と言ってトイレに行き、
席には戻らずそのまま店を出て行った。

 

わからない。
急に何が起きたのか私には意味がわからない。
というか、まだ目の前に座ってるこの男も
おそらく状況を飲み込めてない。
他人の失恋話は大抵内心笑ってしまうが、
この男はさすがに哀れだ。なので、
とりあえず空になってた男のグラスに水を注いであげた。

 

 

9:06pm

入口のネオンを消す。
1人でクローズ作業の日は店内爆音で好きな曲を掛ける。最高。
今日のBGMはWallows。
「 I Donʼt Want to Talk」はモップがけの速度が上がる。

夕方の男女、結局どうなったんだろ。
あのままほんとに別れたのか。
男は相当落ちて帰って行ったけど、大丈夫かちょっと気になる。
あと、話してたバンド名なんだっけ?
休憩中調べようと思ったけど名前忘れた。
曲も気になるけどボーカルの見た目が気になる。
女は見た目に惹かれたのか。結局男も女も顔か。
まぁ私も、バンドマンと付き合ってたけど。
まさか別れた直後にあんな売れるなんて。惜しいことしたな。
まぁでも売れた途端に捨てられたかも知れんから、
あのとき別れて正解だったと思いたい。

ん、え、うそ…

夕方のあの男が入口のガラス扉の向こうに立ってる。
なに?何しに来た…?
BGMの音量を下げ、恐るおそる扉の鍵を開けた。

どうやら男は今日付けてた指輪を無くしたらしく、
この店で落としたりしてないか気になり直接探しに来た。
男女がいたカウンター席に忘れ物も無かったし、
そもそも付けてた指輪を店内で無くすことなんてあるか?
と思いつつも、男は焦ってる感じだったし、
とりあえず座ってた場所のあたりを一緒に探した。

『すいません…今日色々と。あんなことあったから、
もう一回お店に来るの恥ずかしかったんですけど…
大事な指輪で、もう他に思い当たる場所もなくて』

今日別れを告げて帰って行った女との思い出の品か?
フラれたショックで無意識にはずしでもしたか?
内心そんなぼやきが止まらない。
あと、あのやり取りを盗み聞きしてたのはしっかりバレてた。
まぁそうか。

『あの…
彼女が話してたバンドの名前、覚えてたりします…?』

男から突然の質問。思わず私の変な声が漏れた。
なんなら、この男に忘れたバンド名を聞こうか
ちょっと迷ったのに…
私もバンド名を覚えてないことを伝えると、
男は更に話し出した。

『ですよね。聞いたことない名前だし。
なんか短い名前で…思い出せなくて。
さすがに彼女に連絡してそれ聞けないし。
でももし思い出せたら、ちょっと…
たくらんでることがあって…』

 

結局、指輪は見つからなかった。
ただ、この夜 私は男ととんでもない約束をしてしまった。

 

 
TOP PAGE