





SRM江戸川が目指す、新しい福祉のかたち
このコーヒーを手がけるのが、全国でも珍しい珈琲焙煎作業所を持つ就労継続支援B型事業所※「SRM江戸川」だ。
「福祉を変えたい」
そう語る代表の西野宏太郎さんに、その取り組みと想いについて話を伺った 。
「福祉を変えたい」西野さんが見つめてきた日本の福祉の現実
なぜ珈琲焙煎作業所を立ち上げたのか。その原点について尋ねると、西野さんは即座に、力強く答えた。
「日本の福祉を変えたいと思っています」
コーヒーの話ではない。就労支援の話でもない。西野さんを突き動かしているのは、日本の福祉そのものへの問題意識だ。
20年前、福祉を志し、障がい者支援施設でアルバイトをしていた頃。そこは、利用者が胸を張って通えるような環境とは言い難く、西野さんは強い違和感を抱いていた。肩を落として帰る親御さん方の姿を何度も目にした。
「うちの子は、ここで働くしかないんですね・・・」
若さゆえに、障がいのある方への支援のあり方を巡って施設長と衝突したこともあったという。やがて福祉の現場を離れ、フットサル選手として新たな道を歩みながらも、あの時見た光景を忘れることはなかった。
東京都の就労継続支援B型事業所の平均工賃は月額24,141円(令和6年度実績・厚生労働省)。時給換算で350〜400円ほどだという。言うまでもなく、その収入だけで自立した生活を送ることは難しい。制度改正により単純比較はできないものの、西野さんは「20年前と状況は大きく変わっていない」と感じている。誰もが耳を疑うような工賃水準が、長年当たり前のものとして存在してきた。
また、制度の仕組み上、「社会復帰」よりも「通い続けること」が重視されてしまうケースもあるという。
西野さんは、そうした現状に疑問を抱き続けてきた。
工賃の低さだけではない。本来の支援とは何か。社会復帰とは何か。その問いへの一つの答えとして生まれたのが、SRMだ。

左から西野さん、RE/SAUCEプロデューサーHAL.カトー、取材に同行したコーヒー専門家のアライさん
誇りを持って通える場所
SRM江戸川の珈琲焙煎作業所を見学した時の第一印象は「明るい、きれい、おしゃれ!」だった。広々とした空間にはコーヒーの良い香りが漂っていて、北欧のカフェを思わせる雰囲気がある。一般的な福祉施設に抱きがちなイメージとは大きく異なっていた。
これが、西野さんが目指す、“新しい福祉の在り方”の一つ目だ。
障がいのある方が、通いたいと思える場所であること。そしてそのご家族が、気持ちよく送り出せる場所であること。そのためにSRMでは、事業所として必要な基準を大きく上回る広さを確保し、内装にも徹底的にこだわった。
「もっと狭くても、予算をかけなくても基準は満たせる。でも、ここに通っていることを隠したい場所ではなく、誇りに思える場所にしたかった。」
西野さんは、環境が人に与える影響は大きいと考えている。利用者の中には、社会との関わりの中で傷ついた経験を持つ人も少なくない。だからこそ、ただ通う場所ではなく、「ここに来たい」と思える場所であること。そして、前向きな気持ちで過ごせる場所であることが大切だという。そんな想いが、この空間には込められている。

広くて明るく、コーヒーの香りが漂うSRM江戸川の作業所(写真提供:SRM江戸川)

利用者の方々が一つひとつ丁寧に豆の選別作業を行う(写真提供:SRM江戸川)
本当の意味での支援
B型事業所の役割は単に収入を得ることだけではない。生活リズムを整えること、人とのつながりを持つこと、そして社会との接点をつくることも大切な役割の一つだ。 利用者によって目標や目的はさまざまで、SRMには19歳から60代まで幅広い年代の方が通っている。
西野さんが大切にしているのは、本人の主体性と自己決定を尊重する支援だ。本人から意思表示や困りごとがあった際には適切に支援を行う一方で、支援者側から過度に介入することはしない。
障がいがあるからといって、何でも代わりにやってあげることは、一見優しさのように見える。しかしそれは、本人の成長の機会や選択肢を狭めてしまうことにも繋がりかねない。だからこそSRMでは、一人ひとりの目指す姿に合わせた支援を大切にしている。
「例えば、同じ『送迎を利用したい』という要望でも、生活リズムを整えながら穏やかに過ごしたい方と、一般就労を目指している方では、支援の内容が変わります。前者は送迎するけど、後者は自分でバスの時刻を調べて通えるようサポートします。僕はそれが本当の意味での支援だと思うんです。」
通い続けてもらうためにお客様扱いするのではなく、一人ひとりが目標に向かって前進できるよう支援する。そして次のステップへ進む準備が整ったら送り出し、新たに支援を必要とする人を受け入れる。西野さんが目指しているのは、そんな循環が生まれる福祉のあり方だ。

本格的な焙煎機を導入し、スペシャルティコーヒーの焙煎を行っている(写真提供:SRM江戸川)
社会とつながるジャンプ台
循環を生む福祉。そのためには、施設の中だけで完結していてはいけない。SRMの最大の独自性は社会との接点を用意しているということだ。
珈琲焙煎作業所でつくられたコーヒーは、すぐ近くのカフェLIGARE COFFEEで提供されている。施設の利用者は、ここでカフェスタッフとして働く経験を積むことができるのだ。支援を受けながらコーヒーを淹れ、フードを提供し、お客様とのやり取りを経験する。作業所という守られた空間では体験できない緊張感や責任感が、そこにはある。
それは「支援施設以上、一般就労未満」の場。
西野さんは、今の福祉にはこの中間地点が欠けていると考えている。いきなり一般就労を目指すのではなく、その手前で社会との接点を持ち、小さな成功体験を積み重ねる。そのための“ジャンプ台”のような場所が必要なのだという。
「本人が居たい場所に居ればいいんですよ」
西野さんはそう語る。働きたい人には働く選択肢を。ゆっくりと自分のペースで過ごしたい人には、そのための居場所を。大切なのは、「ここにしか居られない」状態をつくることではなく、その人自身が選べることだという。
SRMが目指しているのは、利用者を囲い込む施設ではない。それぞれの未来へ向かうための通過点なのだ。

LIGARE COFFEE店内 SRM江戸川の利用者は、ここでお客様を間近に感じながら、カフェスタッフとして働く経験をすることもできる。
人が人を変えていく
SRM江戸川には現在、定員20名を大きく超えた48名の利用者が登録をしている。一方で、定員に対して利用者が集まらない事業所も少なくないという。心地よく過ごせる場所と、一人ひとりに合わせた支援、そして社会とつながる経験。西野さんが描く福祉の理想を形にしたSRMは、選ばれる施設づくりにも自然と繋がっていた。
「環境だけでなく、人で選んでくださる利用者さんも多いです。」と西野さんは言う。明るい作業所、珈琲焙煎、カフェといったハード面をどれだけ揃えても、結局はソフト面であるスタッフの質が物を言う。SRMでは西野さん含め7名の職員が、同じ支援方針で利用者さんをサポートしている。
印象的なエピソードを語ってくれた。場面緘黙症という障がいがあり、自宅では家族と会話ができるものの、外では一切話すことができないという利用者さんがいた。SRMに通い、職員や仲間と時間を過ごす中で、彼女は無理だと思っていたカフェスタッフに挑戦する。時間はかかった。しかし、いつしか店頭で「いらっしゃいませ」と言えるようになっていた。初めて娘が外で言葉を発する姿を見たお母さんは、シフトの日になると必ず店を訪れ、毎回涙を流していたという。
何がその人にとって価値のあることか、それは工賃や就職の有無だけでは測れない。一人ひとりに合わせた支援を積み重ねることで、人は少しずつ変わっていく。SRMが大切にしているのは、そんな可能性なのかもしれない。

カフェはバス通りに面しており、バス停も目の前。利用者の目標によって、自分でバスで通うことができるよう配慮した立地にある。
理想だけでは続かない
ただし現実はきれいごとだけではない。10年後のビジョンを問われた西野さんは「休みたいです!」と笑いながら即答した。福祉の現場は、精神的にも体力的にも負荷が大きい。さまざまな障がいを持つ方が利用する以上、他害行為への対応や利用者同士のトラブルも日常の一部だ。実際、この日の取材の直前にも、利用者対応の中で殴られる出来事があったという。
さらに、「障がい者ビジネスで儲けている」といった事実とは異なる噂や誤解にさらされることもある。それでも西野さんは、そうした声に反論するよりも、目の前の利用者と向き合うことを選んでいる。
理想を語ることは簡単だが、それを現場で実践し続けることには、想像以上の覚悟と負担を伴う。
「やらなきゃいけないことを愚直にやっているだけです。」
その言葉には、長年にわたり理想の福祉を追い求めてきた人ならではの重みがあった。
SRMの福祉モデルを広げていくことはできるのか
西野さんの取り組みを知れば、「このモデルを全国に広げることはできないのか?」と誰もが思うだろう。実際、今回もその話題になった。
福祉施設を増やすためには、物件、人材、資金、そして行政からの指定が必要になる。条件を満たす物件と、それを実現する資金、行政に提出する膨大な数の申請書類。そして最も重要で、最も難しいのは「人材」だと西野さんは語る。
コーヒー焙煎は手段であり本質ではないし、どれだけ立派な施設を作っても、どんなにおしゃれなカフェを併設しても、利用者と向き合う職員がいなければ支援の質は担保できない。
信念を持ち、やりがいを感じながらも「正直、(この仕事を)おすすめはできないです。」と本音を漏らす場面もあった。そう語る西野さんの表情には、その日の出来事の重さがにじんでいた。

「大事なのは人です」と力を込めて語ってくれた西野さん。
「善いこと」のバトンをつなぐために
西野さんが目指す福祉は、決して効率の良い事業ではない。むしろ、利益の最大化とは対極にある。
人気の施設となり登録者が増えても、SRMのコーヒーがたくさん売れたとしても、西野さん個人の収入増につながるわけではない。
「お金のことを考えたら続かないと思います。」
そう語る姿からは、この事業が利益追求だけでは成り立たないことが伝わってくる。
そこで、こんな疑問を投げかけてみた。
日本の福祉を変えるため、社会にモデルを広げていくためには、事業として成立しなければならないのではないか。善いことをしている人が疲弊して終わるのではなく、正しい形で報われる仕組み。それがないと、後に続く人が出てこないのではないだろうか。
その問いに、西野さんはすぐには答えを出さなかった。
「僕は、福祉事業で自分がお金をたくさん得るというのは、障がい者の方を利用しているような感じがしてしまって、できないんです。ビジネスに向いてないんですよね。」西野さんはそう苦笑した。
利益を否定しているわけではない。ただ、福祉で大きく稼ぐという発想自体が、自分の中にはなかったという。
利用者の工賃を上げたい。より良い環境をつくりたい。スタッフにも還元したい。そう考えていくと、自分自身の利益はどうしても後回しになる。
ただ、自身がもう一つ人生を懸けているものについて語り始めた。フットサルだ。
福祉×スポーツで描く未来
西野さんはプロフットサルクラブの運営にも携わり、現在は監督を務めている。日中はSRMで利用者と向き合い、夜はフットサルの指導へ向かう。そして翌朝には再びSRMへ戻る。そんな日々を続けている。
福祉事業で自分自身が利益を得ることには強い葛藤を抱いている西野さんだが、フットサルは少し違う。自ら立ち上げから関わり、長年人生を懸けて育ててきたクラブだからこそ、監督として正当に評価されることには抵抗がないという。
さらに西野さんは、福祉とフットサルを結びつける未来も思い描いている。すでに精神障がいのある方々によるフットサルチームを立ち上げ、全国大会を目指す活動も始まっている。
「スポーツにも、人を変える力があるんです。」
将来的にはフットサルコートを中心にさまざまな仕事の場が集まり、障がいのある方が社会とつながりながら、多様な経験を積める拠点をつくりたいという構想も語ってくれた。コーヒーと福祉、そしてスポーツ。それぞれが持つ力を掛け合わせることで、福祉を変えていく。そんな未来を描いている。

フットサルチームとカフェの名前であるLIGAREは、ラテン語で「つなぐ」という意味を持つ。
国立競技場から、その遥か先を目指して
実際、その可能性は少しずつ形になり始めている。SRMのコーヒーはこの春から、国立競技場内に出店する老舗ヘレカツサンド店「グリル梵」での提供が始まった。しかも単発ではなく、5年間の契約を結び、継続的に販売される予定だという。
売上規模だけを見れば決して大きな話ではない。 しかし、障がいのある方々が焙煎したコーヒーが、日本を代表するスタジアムで提供される。 これはかつて「こんなところで働くしかないんですね」と肩を落としていた親たちがいた世界から考えれば、大きな変化だ。
もちろん、日本の福祉はまだ変わっていない。西野さん自身も、その道半ばにいる。それでも、一杯のコーヒーが、いつかの大きな変化へと続いていくのかもしれない。

「グリル梵」国立競技場店の店頭にSRMのコーヒーとパンフレットが並ぶ。カトーが訪れたライブ開催日には多くの人が列をつくっていた。
【編集後記】
実はRE/SAUCEでも現在、SRMとの新たなコラボレーションプロジェクトを進めています。障がいのある方々が焙煎したコーヒーを、より多くの人へ届けたい。そして、一杯のコーヒーを通じて、福祉とモノづくり、地域をつなぎたい。その背景や物語については、あらためて別の記事でご紹介します。
※就労継続支援B型事業所とは
障がいや病気などの理由で、現時点では一般企業で働くことが難しい方を対象とした福祉サービス。利用者は雇用契約を結ばず、軽作業や製造、販売などの仕事に取り組みながら工賃を受け取ることができる。
厚生労働省によると、日本には約1,160万人の障がい者がいるとされており、人口のおよそ9%にあたる。その中で、一人ひとりの状況に応じた働く場や社会参加の機会を提供する役割を担っているのが、就労継続支援B型事業所だ。
執筆:柴 桜子













